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映画「JOKER」感想(ネタバレ有)


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(冒頭からネタバレ含みます)









「抱きしめてほしいだけなんだよ…パパ」


不安定な世の中に、自分を認めてくれて、安堵できる家族の愛が欲しかったアーサーの話。




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この映画のキーは笑いとダンスだと思うの。




持病のせいで急に笑い出してしまうんだと、わざわざカードまで持ち歩くアーサーが笑わなくなったのは彼が母親を殺してからだったよね。

アーサーは母親と二人暮らしだった。軽度の介護が必要な母、自分は精神疾患持ち。不景気で失業率も高く、アーサーもまた派遣ピエロの不安定な身。「こんな暮らしをあの人が知ったら悲しむわ」「今日も手紙が来ないの」そう母は毎日嘆く。30年も昔に使用人をしていた金持ちが気にかけてくれるわけがない、とアーサーも気づいているが母は毎日言うのだ。
母親の書いた手紙を盗み見て、母は使用人でありながら妾で、自分は隠し子であることを知る。訪ねてみるが、「お前の母親の虚言だ」と追い返される。このシーンは哀れだった。ホテルに潜入して、直接父親かもしれない相手に会っても相手にされないどころか殴られる。養子縁組をしたんだと。でも、よくよく調べたら母親の虚言であるということの方が事実で、アーサーは言われた通り養子で彼自身も育児放棄や虐待を受けていた。


「どんなときでもハッピーに笑うんです」


若き母親の供述書に書かれていたであろう言葉。
母親が彼を「ハッピー」と呼ぶ所以。しかし、彼が笑っていたのは逃避行動そのものだったんだろう。

何がハッピーだ、何もハッピーじゃない。そう言って脳卒中で入院中の母親を殺した。

殺した直後、コメディ番組にアーサーが「嘲笑い者」として映されるのも、過去を精算したって未来なんかないと言わんばかりで苦しくなった。




作中、彼は何度も踊っていた。
一度だけ、デート後帰宅してに母親と踊るシーンがあったが、それ以外はすべて一人で踊っていた。


銃を手に入れた夜
地下鉄で初めて殺した後
母親を殺した後
潰れたボンネットの上


彼が踊る時、それは彼が一つ一つのしがらみから解かれたときだったんじゃないかな。ちょっとこれは後々気付いたから明確に言えないけれど。




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ゴッサムシティでピエロとして働くアーサー。ゴミ処理員のストライキで荒れる街に不満が募る住人たち。その街の若者の鬱憤晴らしにからかわれ、暴行される。骨の浮き出るような背中に出来た痛々しい痣を白いシャツで隠して、ボスのところに行くと「仕事を放棄したのは何故だ?」とどやされる。理不尽な言われに冒頭から疲弊した。仕事において、こちらの事情も加味せずに理不尽な仕打ちを受けることなんてよくある話。そういう冒頭のつかみ。


コメディアンになりたかったアーサーは母親と番組を見ながら、観客席の自分を妄想する。彼の身なりと異なる清潔感たっぷりの服装で、ハキハキと喋り、憧れる司会者に歓迎される姿。父親のいない彼の悲しい妄想だった。その後も録画を巻き戻してあたかも出演したかのように振る舞ってみたり。報われない日常、手のかかる母親、貧しい暮らし……彼の境遇一つ一つがきゅっと心を絞めてくる。



同僚にもらった銃が原因でピエロの仕事をクビになり、その帰りの地下鉄で酔っ払ったエリートサラリーマン3人に絡まれ暴行された。そして、彼らを撃ち殺したこのシーン、リボルバー銃なのに9発も撃っていてちょっと不思議なの。5発しか入らないのに。

これを機に世間は富裕層を私刑することを
持ち上げ、そう言う人々を「ピエロ」と呼ぶようになった。自分がその殺人鬼であることをテレビで自白した後暴動が起きる。その中で彼が父親だと思っていた、そして初めに殺した3人の雇い主、「ピエロ」と呼んだトーマス・ウェインと妻が暴走する市民によって殺され、死体の横に佇む息子が映される。この子こそ後のバットマンなのだが、どうもモヤモヤする。そもそもDCは監督によって設定変えすぎなんだ。ティム・バートン版では若き日のジョーカーが殺したことになっているが、今作では直接の犯人ではないにしろジョーカーが殺したも同然だなと言える演出だと思う。その設定に帰結するのか、そもそも他作のジョーカーとアーサーは同一人物として扱っていいんだろうか?ゴッサムシティである意味“英雄”となったジョーカーを模倣している可能性も十分ある。



そして
ラストシーン、また彼は笑っていた。

「面白いことを思いついた」と。

カウンセラーが聞かせて欲しいと言うと、にやりと笑って「君には理解できないよ」と言う。そしてエンディング、足の裏に血をつけて廊下を歩くアーサー。

このラストのせいで、どこまでが彼の妄想or幻覚で、どの段階で精神病院に収容されているのかわからなくなっている。身体拘束としての手錠なのか、はたまた犯罪者としてなのか。途中のデートシーンは妄想だったが、果たしてそれだけだろうか?


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ダークナイトと違って赤いスーツのジョーカー。血の色を連想させるが、紫の感情のない色に比べたら生を感じる。この腐った街で底辺が故の理不尽をぶっ飛ばして生きようと。「誰しもがジョーカーになりうる」なんて感想をよく目にするが私は「誰かをジョーカーにしかねない」と思った。




常に笑うアーサーのsmile映画でありながら作中Don't forget to smileのピエロ屋の看板をDon't smileへ塗りつぶす。画面の中でアーサーだけは笑っている。笑うなと言われても、全く笑えない映画である。